『孤立不安社会』つながりの格差、承認の追求、ぼっちの恐怖(石田光則著、勁草書房、2018年)
近年の社会状況を極めて的確に表現した書名である。著者は、現在早稲田大学文学学術院教授(社会学)。未読であるが、過去にも『孤立の社会学』『つながりづくりの隘路』『郊外社会の分断と再編』などの著書があり、長年、孤立、つながり・ネットワーク、郊外などのテーマに取り組まれているようだ。
本書の主張は、主に序章と終章で語られている。
現在、日本社会は社会的孤立と不安に満ちた社会となっているが、それは近代化と都市化に伴い、前近代的な地縁・血縁を中心とする「共同体的関係」が次第に失われ、その代わりにとして、充実した社会保障サービスを背景に、個人の責任(力量)に基づく「選択的関係」へ時代的変化が起こったことが要因である。
個人の責任(力量)に基づく「選択的関係」への変化は、当事者同士のコミットメントが重視され、それぞれが正解の無い正しい関係を求めようとする結果、「諸個人の心理に依拠する人間関係は著しく不安定になる。」ゆえに、社会全体の不安定さが増加し、承認欲求が蔓延するようになる。
また、「選択的関係性」の多寡は、友人・知人といった関係の不均等配分を通じて、関係の保有量および孤立を格差化する。この格差は、収入や学歴、さらには親世代から継承されることもある。
このような構造的に規定されてきた格差孤独社会に対して筆者は否定的であるが、根本的な解決策を持ち得ていない。(そもそも、これは答えの見えない問いでもある。しかし、問われ続けなければならないが。)
終章では解決可能性のキーワードとして、グラノヴェッター「弱い靱帯」が挙げられているが、社会学からのアプローチとしては「あり」かもしれないが、福祉の視点から見れば、ここには目新しさはあまりない。
学問的なアプローチとは別に、日々現場において、社会的孤立や不安を抱えている人たちに寄り添う人々にとっては、繋がりの切れた人たちを発見し、いかにして社会的資源と繋ぐことで救おうとする人々の声をきちんと理解した上で理論化することが本来、求められるべきアプローチだろう。
新たなつながりとして、最後に「シェア」と「宗教」にわずかな可能性を見いだしているがが、そこに関しての言及はほとんどない。その意味で、結論に関してはいささかの食い足りなさを感じた。